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指導者と選手の関係性

2018年2月2日

今回は賛否両論あるかもしれないし、物議を醸す可能性もあるが、あえてこの議題にふれてみる。
表題の「指導者と選手の関係性」

この議題は、非常に危機感のあることだと思っているし、私の声によって何かが変わるわけではないだろう。しかしあえて書く。

指導者とはどういった立場の人のことを言うか。それは選手を育成するためのコーチングを行う人であり、時として競技以外の面での指導も行う人のことを指す。
つまり、役割としては選手を育てることにあり、結果を出すための取り組みを選手とともに行っていく。

しかし、そこには大前提として指導者と選手の「信頼関係」が必要になる。
まず、指導者というのは、中学・高校では部活動の「顧問」であり、大学や実業団では「監督・コーチ」などと言った形で名称は若干異なってくるだろう。義務教育中の部活動においては、あくまでスポーツと教育を関連づけ人としての成長を重んじたり、自立や自律・協調性などが重要視される場合が多い。大学スポーツは宣伝なども絡み、少々異質な形となるが、社会人では結果を出すための勝利至上主義になってくる。

一括りに「指導」「コーチング」と言ってもそれはトレーニング指導だけではない。まずそこには選手の個性などを理解する能力が必要になるだろうし、栄養学・心理学などの知識も必要になるだろう。コミュニケーション能力だって必要だ。つまり、コーチングを行うということは、様々なことを学ばなければいけないということであり、海外では「コーチ」というのが1つの職となっている。また、分野によって専門のコーチをつけることもあるし、チームとして各分野のコーチがいるパターンもある。だからこそ選手が結果を出せなければ、それは選手にも原因があるケースもあるが、コーチを解任するケースだって多々ある。つまり、コーチと選手の立場は役割が違うが、あくまで対等であり、信頼関係が重要なのだ。

サッカーなどでもチームとして結果を出すことができなければ、監督が解任されるケースが多々ある。ヨーロッパのサッカーは特にその傾向がある。しかし、サッカーや野球の場合は、監督の采配が絶対であり、いくらパフォーマンスの高い選手がいても、練習で協調性に欠ければ出場させないという判断もできるし、何かしらのペナルティが与えられる場合もある。監督の言うことを聞かなければ、試合に出れないケースも多いため、非常に難しいスポーツでもある。

日本の陸上界はどうだろうか?

残念ながら「コーチ」と言う職はまだまだ普及していない。
今回は、アスリートの指導という観点で考えてみる。

日本の陸上界は、何度かブログでも書いてきているが、世界とは大きく違う点がある。それは「実業団」という制度だ。この実業団の利点なども「陸上競技の選手(長距離)における現状と取り巻く環境」に書いている。

しかしここには重大な問題がある。実業団つまり企業スポーツでは、コーチと選手の関係性が対等なところは極めて少ないという点だ。どちらかと言うと上司と部下の関係性だ。1つの部署が存在し、そこで監督やコーチと言った役職があり、その下に選手がいる。つまり、サッカーや野球などにおける指導者との関係性のデメリットの部分が共通しているところがある。

サッカーや野球と陸上競技の大きな違いは、団体競技か個人競技かだ。団体競技においては個々の能力ももちろんだが、戦術が大きく結果を左右する。個人競技の場合は、戦術も必要だが、個々の能力によるところが大きい。

コーチングを行う上で最も必要なことは、
「自分がコーチングする選手全員を伸ばす」
という心構えだと私は思う。

例えば1つのチームに20人の選手がいたとする。全員に同じメニューを与え設定タイムも同じで実践させた方が、トレーニングを監督するという意味では一度に全員を見ることができるし、計測や車の伴走を考えても効率的だ。しかし、選手には個々の特性がある。20人が同じ競技力ではないだろうし、身体的な特徴も違う。その選手達を一括りにすることが果たして良いのだろうか。
また、集団で寮での生活を行う場合に、規則が存在するのは一般的である。しかし、そこに飲料の量の制限や食事の制限・管理、体重・私生活の管理を徹底することが果たして良いのだろうか。

それが、きちんとした理論によって実践されているのであれば、良いと思う。しかしそれを指導者側の価値観や考えだけで行うのは非常にリスクのある指導方法・管理方法だと私は思う。

そのやり方に合う選手・合わない選手がおり、100%良い・100%悪いということはない。(余程理不尽な制度があれば話は別)

また問題点として、監督責任となるケースが少ない事だ。駅伝でチーム順位が悪かったとする。これは個々の競技力が劣っている場合や、戦術ミスなど色々なことが考えられる。どこかの区間で大ブレーキが起きる可能性だってある。そんな時の責任は誰にあるのか。これは非常に難しい問題だが、監督に責任問題が波及するケースは少ない。
その場合は、選手がいわゆる「クビ」になる。そしてまた新しい選手が入社(入部)してくる。そうしてまた1年が始まる。つまりサイクルは変わらない。
先述の部署の例えだと、業績の悪い部署があった場合、まず部長が責任を取らされるだろう。いきなり平社員が責任を取らさせる企業はほとんどないと思う。

よって、企業スポーツで部署の上司と部下の関係性は適用され、責任については適用されていない。指導者側に都合の良い仕組みとなってしまっている。

これがコーチング制度が確立していれば、選手が結果が良くなかった場合に、コーチの立場としては自分の職がなくなるため、様々な分野のことを学ぶ。そして選手と一緒になってやっていく。

何が言いたいかといえば、確率として20人の選手をコーチングして、20人全員を強くすることは難しいだろう。しかし、20人全員を強くするという気持ちを持って、日々コーチングに関することを勉強し、選手1人1人に接することが出来ない指導者は、指導をする資格がないと思う。

20人いてそのうちの1人がかなり競技パフォーマンスが向上したとする。その指導方法には改善する余地が多々あると感じる必要がある。

大きな流れとしてみると、選手が入れ替わって組織・チームとして強くなれば良いかもしれない。しかし、選手には1人1人の競技人生だけでなく、その人の人生そのものがかかっている。
その選手の人生を預かっている立場にあるという自覚と責任を持たない人が、コーチング・指導をするということは非常に危険なことなのだ。

日本の陸上界(長距離)の場合、選手が引退する際に燃え尽きていたり、怪我が多かったりなど、本当にやりきったという気持ちで引退する人は少ない。そこには選手自身の問題だけでなく、指導者側にも大いに改善する点があると私は思っている。
しかし、指導者の中には選手のことを本当に考えて、育成しようとしている指導者もいる。そういった指導者が多くなることを願う。
上司と部下の関係性でも悪いことではないが、指示が命令になることなく、選手と指導者の関係性が良いものとして構築されて、選手が本当に強くなるためのことができる環境が少しでも増えれば良いと思う。

近年、アメリカやヨーロッパの選手(チーム)が注目されてきているが、それは、単純に競技力の高い選手がいるからだけではなく、そういったコーチングの方法や環境なども大いに関係している。
全て世界に目を向ける必要があるわけではないが、少なくとも今起きている陸上界での流れや取り組みというものを知る必要はあると考えている。

次へ続く・・・